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浦和地方裁判所川越支部 昭和52年(ワ)141号 判決

原告

長谷川光義

被告

鷺谷英雄

ほか三名

主文

一  被告鷺谷英雄、同鷺谷一は、原告に対し、連帯して金一一、六二四、四〇二円と、これに対する昭和五二年一二月一二日以降支払済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

二  被告鷺谷英雄、同鷺谷一に対するその余の請求、および被告牛山興産株式会社、同日産サニー埼玉南販売株式会社に対する請求は棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告鷺谷英雄、同鷺谷一との間に生じたものは同被告両名の連帯負担とし、原告と被告牛山興産株式会社、同日産サニー埼玉南販売株式会社との間に生じたものは原告の負担とする。

四  この判決の一項は、金五〇〇万円の支払を命ずる限度で仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  原告

左の(1)(2)の主旨の判決と仮執行宣言。

(1)  被告四名は、原告に対し、連帯して金一三、四四六、九〇三円と、これに対する昭和五二年一二月一二日以降支払済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告四名の負担とする。

二  被告四名

請求棄却、訴訟費用原告負担の判決。

第二主張

(原告)

(被告)

一 交通事故の発生

昭和四九年一二月一八日午前八時一〇分ごろ、川越市大字寺山一三六番地先路上において、原告は自動二輪車に乗り、川越市街地方面から坂戸方面へ向けて進行中、対向して進行して来た被告鷺谷英雄運転の普通乗用自動車と接触する事故に遭い、受傷した。

(被告鷺谷両名)

認める。

(被告牛山、同日産サニー)

不知。

二 同じく態様

被害車両が自車線内を時速約四〇キロメートルで進行中、対向して進行して来た加害車両が、先行車を追越そうとして被害車両の車線へ進入してこれに接触し、原告をはねとばした。

(被告鷺谷両名)

加害車両が先行車を追越そうとして被害車両の車線に進入したことは否認する。本件道路は幅員四・一〇メートルの狭い道路で、左右の見とおしの悪い、信号機の設置されていない交差点であり、中央にセンターラインが表示されておらず、乗用車同士がやつとすれちがえる程度の道幅しかない道路であるのに、原告が時速四〇ないし五〇キロメートルでまんぜん進行した結果、この事故に至つたものである。

(被告牛山、同日産サニー)

不知。

否認する。

三 原告の過失

(被告鷺谷両名)

右二において述べたとおりの状況であるから、原告としては道路の狭さや、そこが交差点であることを考えて、速度を落して徐行し、前方を注視して進行すべき注意義務があるのに、これを怠つた過失がある。

四 傷害の内容

右交通事故により、原告は入院加療一一・五か月、通院加療二五か月を要する右大腿骨頸部骨折、右股関節脱臼、右膝関節血腫、膝下腿打撲擦過創、右膝関節内損傷の傷害を負い、一〇級七号と一二級七号の合併した、九級に相当する後遺障害が残つた。

(被告四名)

不知。

五 損害

右交通事故による受傷のため、原告は左の(1)ないし(8)のとおり、合計金一七、九〇二、一四七円の損害を蒙つた。(なお、治療費金六、五〇五、四八〇円と看護料金九八七、三七四円は自動車損害賠償保険と任意保険で支払済である。)

(被告鷺谷両名)

左に特記する以外不知。

(被告牛山、同日産サニー)

すべて不知。

(1) 入院雑費

入院期間三四四日、一日あたり金六〇〇円として。

金二〇六、四〇〇円

(1) 昭和四九年、五〇年当時において、入院雑費は一日あたり金四〇〇円が相当である。

(2) 通院交通費

通院四六六日、一日あたり金二五〇円として。

金一一六、五〇〇円

(3) 家族見舞旅費

原告の右受傷のため、新潟県南魚沼郡塩沢町の実家から父親が二六回、母親が一回上京したが、一回片道のバス代が金一六〇円、国鉄乗車券が金一、六五〇円、急行料金が金五〇〇円として。

金一二四、七四〇円

(4) 休業補償

原告は右受傷のため、当時勤務していたノリタ光学株式会社を休職し給料の支給をうけられなくなり、昭和五一年七月末日限り同会社を退職し、現在もなお稼働できない状態である。同会社に勤務中の昭和四九年九月から一一月までの月平均支給額は金六五、六七一円で、これの受傷後、症状の固定した昭和五二年一二月(二三日)までの三六か月分と、右期間中の毎年夏冬に各一・五月分支給されていた賞与の分としての給与の九か月分の合計が失われたものとして。

金二、九五五、一九五円

(5) 治療期間中の慰謝料

右入院加療一一・五か月間について金二〇六万円、同じく通院加療二五か月について金一三二万円として。

金三、三八〇、〇〇〇円

(6) 後遺障害による逸失利益

前述のとおり、後遺障害は九級相当と認定されているが、障害の部位、性質から考えて改善の余地がなく、原告は就労可能である六七歳に至るまで労働能力を三五パーセント喪失した。従つて、逸失利益を、本件事故当時の年収(前述の月平均金六五、六七一円の一二か月分と賞与としての同じく三か月分の合計)金九八五、〇六五円の、症状固定時の年齢二二歳から六七歳までの四五年間の、新ホフマン係数二三・二三〇七を乗じた金額の三五パーセントとして。

金八、〇〇九、三一二円

(6) 原告は年齢も若いし、障害の部位、性質から考えて、将来相当程度の改善が期待されるので、労働能力の喪失率は二〇パーセントとみるのが相当である。

(7) 後遺障害による慰謝料

右後遺障害が残存したことを慰謝する慰謝料として。

金二、一六〇、〇〇〇円

(8) 弁護士費用

原告は本訴の追行を本件原告訴訟代理人に委任し、手数料として次の金額を支払つた。

金五〇〇、〇〇〇円

六 損益相殺

右損害につき、原告は労災保険と任意保険から左の(1)ないし(11)のとおり、合計金四、四五五、二四四円の支払をうけた。

(被告鷺谷両名)

認める。

(被告牛山、同日産サニー)

不知。

(1) 昭和四九年一二月五日、氷代として。

金二〇、〇〇〇円

(2) 昭和五〇年一月一七日、雑費として。

金一六、〇〇〇円

(3) 同年五月一三日、休業補償として。

金二二〇、〇〇〇円

(4) 同年一二月五日、同じく。

金二〇〇、〇〇〇円

(5) 昭和五一年五月六日、同じく。

金二五三、五二五円

(6) 同年九月一〇日、同じく。

金二六〇、三七六円

(7) 同月二七日、同じく。

金五四、八一六円

(8) 昭和五二年七月一八日、同じく。

金三六三、一五六円

(9) 同年九月一二日、同じく。

金二〇八、九八六円

(10) 昭和五三年二月一八日、同じく。

金二四八、三八五円

(11) 同年三月二八日、自賠責による後遺障害保険金として。

金二、六一〇、〇〇〇円

七 被告らの責任

被告らには、左の(1)ないし(4)のとおり、それぞれ原告に対し、前述の原告の損害を賠償する責任があり、被告らの各責任は被告四名の連帯責任である。

(1) 被告鷺谷英雄は加害車両の運行供用者であつて、自動車損害賠償保障法三条により損害賠償責任がある。

(1) (被告鷺谷英雄)

被告鷺谷英雄が加害車両の運行供用者であつたことは認めるが、損害賠償責任は争う。

(2) 被告鷺谷一は加害車両の所有者であり、運行供用者であるので、自動車損害賠償保障法三条により損害賠償責任がある。

(2) (被告鷺谷一)

否認し、争う。

(3) 被告牛山は、埼玉自動車販売株式会社の商号で設立され、昭和四一年日産サニー埼玉南販売株式会社と商号を変更し、昭和五一年一一月一日、現在の牛山興産株式会社に商号を変更した。

本件交通事故は、被告牛山が日産サニー埼玉南販売株式会社の商号のときのことで、被告鷺谷英雄は当時同会社の従業員であつたが、事故は被告鷺谷英雄が出勤の途上でおこつたもので、同会社の業務の執行に当つて発生したものであるから、被告牛山には民法七一五条により損害賠償責任がある。

(3) (被告牛山)

被告牛山が、本件事故当時の日産サニー埼玉南販売株式会社の商号を変更したものであること、その当時被告鷺谷英雄が同会社の従業員であつたこと、事故が被告鷺谷英雄の出勤途上の際おきたことは認める。

本件事故は、被告鷺谷英雄が自己の便宜のため、同被告の父親の被告鷺谷一所有の、被告鷺谷英雄保有の加害車両を運転して出勤する途中おこつたもので、被告牛山の事業の執行についておこつた事故ではなく、客観的外形的にみても被告牛山の事業の執行と解される余地がない。

(4) 被告日産サニーは、かつて日産埼玉商事株式会社の商号の会社であつたが、昭和五一年一一月一日、当時日産サニー埼玉南販売株式会社の商号で営業していた現商号牛山興産株式会社(被告牛山)からその商号と営業を譲受け、人的物的組織をすべて引きつぎ、同日その商号を譲受けた現商号に変更する旨商業登記を経由したもので、従つて被告日産サニーは商法二六条一項により、被告牛山の原告に対する本件損害賠償義務を承継したものであるから、損害賠償責任がある。

(4) (被告日産サニー)

被告日産サニーは本件交通事故当時の日産サニー埼玉南販売株式会社とは全く別の、昭和五一年一一月一日設立の別会社である。

原告主張の営業譲渡の事実は認めるが、商法二六条一項の責任は争う。

争う。

八 過失相殺

(被告鷺谷両名)

三において前述したとおり、本件交通事故については原告にも過失があり、損害の二〇パーセントは過失相殺されるべきである。

九 請求

以上により、原告は、被告四名に対し、前記五の損害額金一七、九〇二、一四七円から、前記六の金四、四五五、二四四円を差引いた金一三、四四六、九〇三円と、これに対する被告四名中、訴状送達の最もおそかつた被告鷺谷一に対する訴状送達の日の翌日である昭和五二年一二月一二日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を、連帯して支払うことを求める。

第三証拠〔略〕

理由

一  本件交通事故が発生したこと自体(原告の主張一の事実)は被告鷺谷両名の認めるところではあるが、成立に争いのない甲一三、一四、一五号証および乙七号証に、原告と被告鷺谷英雄各本人尋問の結果を綜合すると、昭和四九年一二月一八日午前八時一〇分ごろ、川越市大字寺山一三八番地先路上において、同被告が普通乗用自動車を運転し、坂戸方面から川越市街地方面へ向けて時速約四〇キロメートルで進行中、直前の先行車がブレーキをかけて左へ寄つたところを、まんぜんハンドルを右へ切つて道路中央に進出した過失により、時速約四〇キロメートルで道路左側(同被告からみて右側)を対向して来た原告運転の自動二輪車の進路直前にとび出し、自車右前部を右自動二輪車の前輪部分に衝突させた事実が認められる。右事故について原告に過失があつたとの被告鷺谷両名の主張については、これを認めるに足る証拠がない。

二  成立に争いのない甲四号証、九号証の一ないし一〇、一二号証、一四号証、原告と被告鷺谷両名、同牛山との間では成立に争いがない甲一〇号証に原告本人尋問の結果を綜合すると、右交通事故によつて原告は右大腿骨頸部骨折、右股関節脱臼、右膝関節血腫、膝下腿打撲擦過創、右膝関節内損傷等の傷害を負い、即日川越市連雀町の三井外科病院に入院したこと、当初は歩行不能の状態で、右下肢大腿部鋼線牽引、人工骨頭置換等の手術などの治療をうけ、昭和五〇年一一月二六日まで三四四日入院をつづけ、同日退院して翌日から昭和五二年一二月二三日まで四六六日同病院に通院して理学療法等の治療をつづけたこと、同日一応症状固定と診断され、右臀部、右下肢の萎縮、関節可動域の制限、脚長差が残り、歩行に跛行や痛みがあり、継続して長時間歩行したり起立していることが難しく、この状態は労災の一〇級七号と一二級七号併合の九級と認定されるものであること、この状態が近いうちに回復する見込みは乏しいこと、等の事実を認めることができる。

三  右受傷による原告の財産的損害は左の(1)ないし(10)のとおりで、合計金一六、〇七九、六四六円である。

(1)  原告が本件事故により三四四日の入院治療をよぎなくされたことは前記認定のとおりで、入院中に必要とした雑費は入院一日につき金五〇〇円とみるのが相当であり、入院期間中の雑費相当額は合計金一七二、〇〇〇円である。

(2)  同じく原告が退院後四六六日通院治療したことも前記認定のとおりであるが、原告の症状その他から見て通院には公共の交通機関を利用することは当然であり、少くとも一往復に金二五〇円程度は要したものと推定されるので、一日金二五〇円として、四六六日分の通院交通費合計は金一一六、五〇〇円である。

(3)  原告本人尋問の結果によれば、原告は当時独身で埼玉県下に居住、就労していたもので、本件事故による受傷のため、父または母が新潟から見舞や看護に前後約三〇回かけつけていること、一回にかかる往復の交通費が金四、六二〇円であることが認められるが、回数を二七回として合計金一二四、七四〇円となる。

(4)  成立に争いのない甲九号証の一ないし一〇と原告本人尋問の結果およびこれによつて真正に成立したものと認められる甲五、六号証、一一号証の一ないし七等の証拠によれば、原告は本件受傷により稼働できなくなり、当時勤務していたノリタ光学株式会社を休職、給料の支払をうけられず、そのまま昭和五一年七月末日退職のやむなきに至つたこと、その後も症状の固定した昭和五二年一二月(二三日)まで就労できず、勤労による収入がなかつたこと、原告の本件受傷直前の昭和四九年九、一〇、一一月の三か月の月平均手取賃金額は金六〇、二三二円であり、当時は年間三か月分の賞与が支給されていたこと等の事実を認めることができる。従つて右期間中、原告が失つた得べかりし利益は、月額右金六〇、二三二円の三六か月分の賃金と、合計九か月分の賞与との合計金二、七一〇、四四〇円である。

(5)  前記認定の症状、入院加療期間、通院加療期間その他本件各証拠によつて認められる諸般の事情からみて、右治療期間中原告の蒙つた精神的損害に対する慰謝料は金二五〇万円が相当と認められる。

(6)  前記認定のとおり、原告は症状固定後も労災の九級に該当する後遺障害を残しており、これはほとんど回復する見込がないものとみられるので、六七歳までの本来の就労可能期間を通じて、労働能力を三五パーセント喪失したものと判断される。従つて、原告の逸失利益は、前記受傷当時の平均月収金六〇、二三二円の一二か月分と、年間を通じ三か月分の賞与の合計金九〇三、四八〇円を年収とし、症状固定時の年齢二二歳から六七歳まで四五年間の稼働期間中の分をホフマン式計算法により係数二三・二三〇七を年収額に乗じて得た金額、金二〇、九八八、四七三円の三五パーセント、即ち金七、三四五、九六六円である。

(7)  前記認定のとおり、原告には労災九級該当の後遺障害が残存しており、これによつて原告の蒙つた精神的損害に対する慰謝料としては金二六一万円が相当である。

(8)  原告本人尋問の結果によれば、原告は本件訴訟の遂行のために原告訴訟代理人を委任し、手数料として金五〇万円を支払つたことが認められるが、右は事案の性質、訴額、被告らの対応のしかた等諸般の事情からみて相当のことであり、その金額も相当とみることができる。

四  右損害総額(前述のとおり、医療費、付添費は全額保険で填補されているので、これには入つていない)金一六、〇七九、六四六円から、前記原告の認める損害填補額金四、四五五、二四四円を差引いた金一一、六二四、四〇二円が現実に原告の蒙つた損害額である。

五  成立に争いのない甲一二号証、乙四、五号証に被告鷺谷両名本人尋問の結果を綜合すると、本件加害車両は被告鷺谷一の名義であるが、実際には被告鷺谷英雄が使用するために購入したもので、代金も頭金やその外一部を被告鷺谷一が立替えはしたが、これも被告鷺谷英雄が順次返済していつたものであり、事実、同被告が専用で通勤等に使用してきたもので、運行利益と運行支配は同被告に帰属し、同被告を運行供用者ということができる。また、同じ証拠によれば、被告鷺谷一は前述のように本件加害車両の所有者であり、また仮に実質的にはそうでないとしても、事故当時満一九歳だつた被告鷺谷英雄の父親で、保護者法定代理人であり、車両購入に際しては名義人となり、また現実に頭金その他代金の一部を立替える等、支配関係を及ぼしていたことが認められるから、やはり運行支配と利益が重畳的に帰属するものとして運行供用者というべきである。よつて被告鷺谷両名には連帯して原告の損害を賠償する責任がある。

六  次に被告牛山の責任について判断する。事故当時、同被告が被告鷺谷英雄の使用者であつたこと、本件事改が被告鷺谷英雄の出勤途上でおこつたことは当事者間に争いがない。しかしながら、証人鳥羽憲治の証言と被告鷺谷英雄本人尋問の結果によれば、本件加害車両は日ごろ会社の業務に全く使用されることがなく、被告牛山との関係では被告鷺谷英雄はもつぱら通勤のためにこれを使用していたもので、しかも被告牛山は被告鷺谷英雄に公共の交通機関を利用する料金にあてる分として通勤手当を支給していたもので、本件加害車両による通勤ももつぱら被告鷺谷英雄の便宜のため、その責任と負担において行われていたことが認められるのであるが、かような事実関係においては被告牛山に使用者として損害を賠償する責任はないものといわざるをえない。

また、そうすると被告日産サニーにおいても損害賠償責任を負わないことは当然である。

七  以上によれば、原告の被告鷺谷両名に対する請求は金一一、六二四、四〇二円とこれに対する昭和五二年一二月一二日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払うことを求める限度で理由があるのでこの分を認容してその余を棄却することとし、被告牛山、同日産サニーに対する請求はいずれも全額理由がないのでそれぞれ棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条一項但書、仮執行宣言について同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 安倍晴彦)

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